36年前に群馬県で起きた旅客機墜落事故は世界的に有名ですが、夏の暑いさなかの事故発生から、秋風が立つまでの3か月以上かけて、ご遺体確認の作業が続けられたことはあまり知られていません。
医師団、関係者、地元の方、ご遺族、そして航空会社が一団となって、大変な熱意のなかで「誰のご遺体なのか」の確認が献身的に行われたのです。
その中で印象的なエピソードは、外国の方のご遺族がわりと淡白に対応され、納得して帰国されたお話です。
上記の本の著者の方は「宗教観の違いだろうか?」と書かれていますが、海外でも必ずお墓を作って埋葬をするのは周知のとおりです。
日本人は故人との会話に、お墓だけでなくご遺骨も重視するということでしょうか。
戦没者の遺骨収集や、東日本大震災の行方不明者のご遺体を探されている方のお話も現在たびたび報道される中、これはもう、向き合ってみる価値のある事柄ではないかと思います。
しかし、これは「なぜ?」というようなことではないのかもしれません。
「どこかで寂しい思いをしている。探してあげなくては。」
素晴らしい気持ちだとは思いませんか?