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💡 いろいろな儀式
もう少し解りやすいように、他の例をあげてみます。例えば、儀式の中には、成人式もあります。
成人式は、確認しづらい抽象的な「成人」という内容を、儀式を通して明らかにし、自覚させるケジメの場となります。
他には、結婚式もそうです。「結婚」という抽象的で確認しづらい(婚姻届けなど物質的な目に見えるものはありますが)内容を、「式」や「礼」という形式に則って表現し、参加者一同で受け止めていくわけです。そのような行為を「結婚式」と言ったり、「婚礼」と言ったりするのです。
これらのように、人間は確認が難しい抽象的な内容(状況)を受け止める必要がでてきて、「ケジメ」の行為として儀式ができあがりました。
💡 儀式とケジメ
ですから、私達の人生には事あるごとに、ケジメとしての儀式があります。七五三、入学式、卒業式、成人式、入社式、結婚式、金婚式、お葬式・・・
それぞれ、抱えている内容は形がなく、確認が難しい抽象的な「状況」です。例えば「学生になる」「卒業する」「成人になる」「入社する」など、具体的な形があるわけではありません。
日々、毎日が続いていく営みの中で、時として抽象的で確認が難しい特別な「状況」を迎えます。そのような時に、儀式は「ケジメの機会」としての大きな役割を果たしてくれます。もし、儀式が無かったならば、私達は特別な状況を迎えるにあたって、「ケジメ」をつけることができません。
では、「ケジメ」をつけられないといけないものでしょうか?