「ケジメの場」が持てた遺族は、お葬式を一つの「区切りの場」「ケジメの場」と捉えることが可能となります。
しかし、儀式という形式を通じない直葬は、遺族から「区切りの場」「ケジメの場」を奪うこととなってしまいます。
目次
💡 「ケジメ」なしの、意外に知られない事実
ですから、故人の遺言で直葬を選択してしまう遺族が、その後、故人の死に向き合えず、故人の死を受け止めきれず、鬱になっていく現実があるのです。
「区切りの場」「ケジメの場」が持てないということは、大切な故人の「死」という抽象的な内容を受け入れることができず、ケジメや区切りも付けられないことで、悲しみの毎日がずっと続くことに繋がってしまうのです。
しかし、そのような問題が起こってしまったからといって、お葬式をやり直そうとしても、すでにお葬式を営む適切なタイミングを逸してしまっている為、取り返しがつかない事となるのです。
時間は戻ってくれません。ここが一番大事な点なのです。お葬式を営むタイミングを逸してしまうと、取り返しがつかないものなのです。
💡 お葬式の「ケジメ」作用
お葬式には、故人との死別という悲しい現実に向き合い、形式を通じて「ケジメをつけさせる作用」があるのです。お葬式を営まないことは、遺族から「ケジメの機会」を奪うことに繋がります。この点をしっかりと覚悟をした上での直葬の選択であれば問題はありません。
しかし、「遺族の迷惑になるからやめておく」との自分勝手な思い込みが、かえって取り返しのつかない「遺族への迷惑」に繋がることが十分にあり得ます。
大切な事は、お葬式とは遺族の為の儀式でもあるということなのです。死に往く当人が全てを決定できる問題ではないのです。