「死んだらそこで終わり」
「過去も未来も関係ない」
そのような考えを持つ方は常に一定数いらっしゃいます。
分かる部分もあるのですが、それではなぜ、人類の歴史上・世界中で「お墓」や「祭壇」が設けられ、人々は頭を垂れ続けているのでしょうか? 無意味なことを、迷信を、ひとはやり続けるものでしょうか?
「敬虔な行動が自己満足につながるとか、そういう事じゃない?」
確かに自己満足ではあるのですが、もっと奥深いものがそこにはあります。
人間を語るアドラー心理学で、ひとは変化を嫌い、一か所にとどまり続けることを好むとあります。
目次
💡 先人への語りかけ=振り返り
そんな自分を叱咤して、あるいは癒しながらよりよく生きるためには、「自己反省」が不可欠かつ最も有効な手段です。口では「オレ最高!」と言っても、本気でそう考えている人はまずいない。劣等感や低い自己評価、嫉妬など自意識に振り回されているのが現実です。
それを打開するために古来拠り所としたのが、「先人の目、先人への感謝」でした。先人をご先祖様や亡き親と置き換えると、分かりやすくなります。
先人の象徴を前にして、心を鎮めて今自分のここに在る感謝や、素直な自分への振り返り、自分の目標が何かを語る。問わず語りではなく、先人への語りかけです。
「お墓や祭壇がある」というのは、そうするための一種のメディアが家族のために存在している状況にあるということです。
後継者に残してあげられるのはお金や思想だけではありません。この振り返りの機会は、家族にとってかけがえのないものとなるのです。
別に華美でお金をかけたものでなくとも、お墓や祭壇、それと何か心のこもった言葉を残す。素晴らしいことではないでしょうか?